ジェンダーの概念
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アメリカ国内では、女性の問題や課題に注目し、女性に焦点を当てながら男性中心の偏りを是正しようとジェンダー研究の再構築を行っているようです。
歴史学者ジョーン・スコットは、ジェンダー研究の視点を、"肉体的差異に意味を付与する知"と定義づけ、性差は自然に生じたに見せながら、実は社会的に構築されており、そこに権力関係も組み込まれているのだと指摘します。
又女性作家であるル・グィンは、作品を通して自らのジェンダーについての考察を試みました。「ジェンダーは必然か?」と題したエッセイを発表し、分析について言及しています。
「女性であることは、性科学言説や社会活動における論争史によって構築された複合カテゴリーにすぎない」
また
「女性であるなどという状態自体が本来は存在していない」
と評しています。
女性作家たちの声を発見し、可視化した一方で、フェミニズム批評が両性具有、ジェンダーの解体、二元論の解消という女性性というものを限りなく無化していることを、研究者たちは厳粛に受け止めているのです。
日本国内でも、様々な学術的会議が持たれつつあります。
「ジェンダーと性役割」と題した内藤和美さんの考察においては、
「ジェンダーは性別における特定の要素を意味するものでも、具体的な個人である女性と男性の間の社会関係だけを意味するものでもない。 むしろ、それら全てに関わりそれら全てに含まれている、社会秩序や社会関係を記述する方法としての『性別にかかわる知』であり、『知的秩序を示す概念』である。(江原1995)」
という意見を取り上げています。
21世紀の青少年は、グローバルな世界を生き抜くために必要な知識や知恵を、本能的に潜在意識の中で選び、探し出し、摂取しようとしています。
そしてその一つがジェンダーに対する概念なのです。
「男は男らしく」「女は家にいて」「女のくせに…」「男なのだから…」などという言葉は死語になりつつあります。 それよりは、男女ともに同じ人間として、ジェンダーを超えた意識から、自分も他人も見つめ、そしてどう異性と向き合うか、付き合うかを考える視点を持ち始めているように思います。
また反対に、性の在り方を間違えて認識してしまい、無知さゆえに自らの身体を道具として使用するかのように認識してしまう傾向も増加しています。しかし、これらの問題は何故起こるのでしょうか。
第一に、複雑に入り組んだ常識概念や道徳観が現代の問題を覆いかぶせてしまい、真実は背後に隠され、不透明な暗闇を手探りで歩くかのような社会構造に原因があるのです。
そして第二に、時代の変化とともに人々の思考に受け入れられるような、又グローバル日本社会に適応するような、新しいジェンダー概念が日本にはまだ形成されていないことに問題があるのではないでしょうか。
性認識の価値観も多様化しています。昔とはまったく違う生活形態を成し、情報を入手し、二世代を超えると、道徳観、倫理観、世界観を構成するほとんどの要素は違っています。ですから、ジェンダーの認識の仕方が違っても当然なのです。
必ず子どもは、大人が意識で象って持っている性差概念を知る世界に同じようにして入ってゆきます。
だからこそ、私たち親は、大人として、子ども達の一歩前を歩むものとして、世界を学び、人と接し、平和を愛し、自らの律を正せるような人間を目指してゆくこと、そして男女の肉体的性差を大切にし、社会的性差による差別や偏見的認識を無くしていけるような意識を持つことが必要なのです。
そして、そのような考えを許容できる社会、国家の形成を目指していくことが大切なのだと思います。
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